鬼滅の刃と租税教育
先日家族で「劇場版 鬼滅の刃」を観てきました。
コミックは読んでいるのでストーリーは承知済みでしたが、迫力ある映像とアニメならではの戦闘シーンは流石ですね。
素直によかったと思いました。
色々感動的なシーンがある中で、炎柱の煉獄さんのお母さんが、「人より才能があるものは、それを使って人のためにならなければいけない。」
といった内容のことを息子に伝えます。
私も中学生版の講義の中で、こんな事を話すことがあります。
「中学校生活はかけがえのない大切な日々です。
皆さんの中には、勉強が得意な人そうでもない人、運動が得意な人そうでもない人、リーダーとして前に立って引っ張っていくタイプの人、それを支えていくタイプの人、黙ってコツコツ何かをするのが好きな人、とにかく色々なタイプの人がいると思います。そういう人たちが、偶然集まってこの学校にいるわけです。
そして色々な活動をしていきます。委員会活動や各種の行事、部活動や学級での活動など、協力し合ってやっていく…。
その時には、少しでもいい学校にしよう、いい行事になるようにしよう、何とか県大会に行けるように頑張ろう、など、話し合いをして目標を立てて協力していくわけです。様々な意見があって、少数意見も取り入れて、最後に『よし、これでいこう』ということになったら、どんな意見を持っていた人も一致団結して頑張っていくわけです。(どこかの国の偉い人のように『自分は賛成していなかった』なんてことは言わないでしょ?)
そうやって活動していくときに生まれるのが絆です。偶然集まったただの人たちが、かけがえのない仲間になる。そうして自分たちの集団をより良いものにしていこうとする…。このことを経験してほしくて学校があるといってもいいくらいです。そして、その経験が社会に出て本当に役だつのです。
みんなが、自分の持てる力を使って、いろいろな形で協力し合って社会は成り立っています。
この時、特にリーダータイプ・勉強ができた人は考えなきゃいけないことがある。
もともと私は、『勉強ができる』のと『頭がいい』というのは別だと思っています。
『勉強ができる』のは『学力が高い』けれど、性格やものの考え方は別でしょ?インターネット上での犯罪やサイバーテロ・詐欺やらナンやらと、『勉強ができる人』じゃないと出来ない犯罪はたくさんあります。その人たちは、社会の法律やルールに従わないで、私利私欲や快楽のために平気で犯罪を犯す、とんでもないことです。
本当に『頭がいい』というのは、『ハートがある』ってことです。自分の才能や能力を、他人のために生かすことができる人です。
野球部でエースで4番で大活躍してても天狗にならず、3年になってもずっとベンチに入れなくて、でもグランド整備や声出しや下級生の世話なんか一生懸命やっているような、万年補欠の想いをちゃんと分かっている、そういう人です。
で、世の中にはそういう『学力とハート』を身に着けた人でないと出来ない仕事がある。医者であるとか、法律に携わる検事や弁護士とか、政治家なんかもそうであるべきですが、そういう人は昔球拾いでもずっと頑張り続けたような仲間が、今は地元で汗水たらして働いているんだなってことを思い、そんな仲間のために持っている能力を使って、よりよい世の中にしていかなきゃいけない、そういう責任があるんですよ。
例えば、税の仕組みもそうです。税理士の私が言うのも変だが,税の仕組みはなんだかんだ言って結構平等に公平に作られていると思います。でも複雑になりすぎた。これをもっとシンプルで分かりやすいものにできたら、もっと税についての理解も進み、みんなが違和感なく納税もできるでしょうけれど。そういうことは、本当に頭がいい人じゃなければできないと思うんです。
勉強がちょっとできたって、世の中のために使えないんじゃもったいないでしょ?ちゃんとハートをもって行かなくちゃ…」
ちょっと長くなりましたがこんな感じで話しています。煉獄さんの母君の言葉を劇場で聞いたとき、こういう話をしていることを思い出しました。
もともと私は租税教育を、社会科の側面だけでなく「道徳」に近いものとして考えています。そういった話はまたいずれ。